学校について

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学校について

沿 革

ナミュール・ノートルダム修道女会創始者
聖ジュリー・ビリアート

心を清くし 愛の人であれ

「神様はなんと善いお方!」と、どんなときにも神様を信じ、
愛してやまなかったフランス人女性、ジュリー・ビリアートは、
フランス革命後の混乱した社会にあって、
「ナミュール・ノートルダム修道女会」を設立し、
貧しい子どもたちの教育のために生涯を捧げました。

「子どもたちが神から授かった才能を伸ばすための機会を与え、
生きていく上で必要なことは何でも教えましょう。」
という言葉を残した聖ジュリーは、
困難にぶつかるたびに、神への信頼と感謝を忘れず、
むしろ困難を神がお与えになった試練と受け止めて、
笑顔を絶やさず前向きに生きた女性です。

原爆で焦土となった広島の町がようやく復興を始めた頃、
ナミュール・ノートルダム修道女会は、
“教育は万人のもの、教育を受ける機会のない者にこそ教育を”
というジュリーの思いを実現するため、被爆地広島に学校を建設しました。
以来本校では、聖ジュリーの生き方を建学の精神とし、
「心を清くし 愛の人であれ」
を教育理念に掲げ、教育活動に取り組んでいます。

1803年 8月 ナミュール・ノートルダム修道女会創立。フランスで教育事業に着手
1924年 8月 ナミュール・ノートルダム修道女会、来日。岡山の高等女学校を継承
1950年 3月 初代校長 シスター・メリー・コスカ 就任
4月 広島にノートルダム清心中学校開校  木造2階建中学校舎落成
1953年 4月 ノートルダム清心高等学校開校
11月 鉄筋3階建高等学校校舎落成
1955年 10月 聖堂落成
1956年 3月 第1回高等学校卒業生 142名
1961年 6月 鉄筋5階建短期大学校舎落成
1966年 1月 中学校校舎火災消失
1967年 7月 鉄筋4階建中学校・高等学校校舎落成
1968年 6月 体育館落成
1969年 6月 創立者マザー・ジュリー 列聖式
1973年 8月 ナミュール・ノートルダム修道女会 来日50周年
1982年 4月 校舎増改築落成式 中学校4学級編成
1983年 4月 高等学校4学級編成
1986年 10月 芸北教育場 ユリア館落成
1993年 10月 体育館改築落成
1997年 8月 第一次改修工事(中学校舎)
2004年 4月 クビリーホール開館
2007年 4月 併設型中高一貫教育校に改組
2018年 2月 ノートルダムホール落成

 

学校長挨拶

共に未来を切り拓いてまいりましょう。

ノートルダム清心中・高等学校は、原爆により荒廃した広島に教育の復興をと願う人々の思いに応えて、1950年に創設されました。その種は、今から約200年以上前のフランス革命という激動期に教育の重要性を説いた創立者ジュリー・ビリアートの教育への情熱、そして共に歩むシスター方の教育機関設立の拡がりに遡ります。さらには聖ジュリーが模範としたイエス・キリストや校名にいただいているノートルダム(聖母マリア)の時代にその種は蒔かれていたのです。

今、さまざまな困難や試練にあうことが続き、不安、心配や弱さを受け止めながらも、生かされた命を大切にして、わたしたちは今を共に生きています。本校では、「心を清くし 愛の人であれ」という教育理念と先人たちの祈りに支えられ、世界中に拡がるノートルダムネットワークを活かし、新たな時代を見据えた勉学に励んでおります。例えば、生徒会を中心としたSDGs(持続可能な開発目標)に対する試行錯誤や、一人ひとりの探究を継続し、「なでしこ(本校の校章の花)パワー」を積み重ねている日々でもあります。2021年度は電子図書館利用も始め、その利用冊数が全国第1位にもなり、蔵書貸出数と合わせ、過去最高記録を更新しました。「求めなさい。そうすれば、与えられる。」(マタイによる福音書7章7節)という聖書の一節にある通り、生徒たちの主体性を活かし、学びを深め、共に可能性を拡げていきたいと考えています。

蒔かれた種から、日常や協働作業の喜び、時には貴重な苦労を通して、多様性に富んだ豊かな「社会の良心」として愛の実りへと成長していけますように。つながりを糧に、希望の光の証となる学校であるよう努力し、未来への新たな一歩を踏み出してまいります。


第9代校長 神垣 しおり

設立母体

本校の設立母体である「ナミュール・ノートルダム修道女会」は、ローマに本部をおき、世界の16の国々に拠点をもつ、国際的な組織です。そして現在、国連NGOとして、教育活動や医療活動、人権支援活動など、世界各地で必要とされている、さまざまなボランティア活動を行っています。

本校は、この「ナミュール・ノートルダム修道女会」が世界で行っている教育活動の一環として、戦後間もなく広島に設立された学校です。日本国内では岡山と倉敷に姉妹校があり、海外には、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ベルギー・ブラジル・ナイジェリア・ジンバブエなどに、120校もの姉妹校があります。ノートルダムのネットワークにより、本校は世界とつながっています。

校歌・校章

青色の鏡となでしこの花

本校の校章は、青色の鏡の上に、なでしこの花が浮き、
その上に「清」の文字と、NDの頭文字が記されています。

この青い色は、聖母マリアに捧げられた色で、
透明な澄みきった清らかさを表し、空の青さや深い水のように、
私たちの心を吸いこんでしまうような限りない深みをただよわせているものです。
一人ひとりの心が聖母マリアの深く清らかな心を映し出す貴重な鏡に
なれるようにとの祈りが、鏡のかたどりの中にこめられています。

繊細ながらもたくましい生命力を持つなでしこの花は、
野花のなかで自分なりの装いを忘れることはありません。
人に目立つものでなくても、各自の持ち味を精一杯生かしながら、
真理と理想に向かって信念をもって歩んでいくことができるようにとの
願いが託されているのです。

校歌

マザー・ジュリーの歌

制服

中高とも濃紺のワンピース(冬服)、ジャンパースカート(夏服)です。
ブラウス・靴下などは、高校生はマリア様の色である水色で、中学生は質素・清楚を表す白色で気品溢れる制服です。

清心制服物語

戦後、まだ社会全体が貧しかった頃に入学した1期生には、入学当初「制服」として定められたものはありませんでした。生徒たちの制服は、当時のシスターや先生方が1枚1枚手作りしたそうです。1期生が高校に入学した頃、制服の手作りは先生から生徒たちに引き継がれ、草創期の生徒たちは下級生のために随分たくさんの制服を手縫いしたと言います。

やがて生徒たちは、家庭科の授業時間を使って自分たちの制服を作るようになります。中学1年生はブラウスを、高校Ⅰ年生は制服を作るという伝統は、その後17期生まで続きました。

施設紹介

通学エリアについて

2022年度の通学地域情報です

広島市 西区 約170名 東広島市 約40名
広島市 中区 約180名 竹原市 数名
広島市 東区 約110名  三原市 数名
広島市 南区 約210名  福山市 数名
広島市 安佐北区 約20名  北広島町 数名
広島市 安佐南区 約100名  三次市 数名
広島市 佐伯区 約60名  廿日市市 約40名
広島市 安芸区・安芸郡 約60名 安芸高田市 数名
呉市・江田島市 約40名 大竹市・山口県 約30名
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